どらちゃんの徒然日記

クローン病に負けるな!まだまだ人生を諦めていないアラフィフ女子の日々のことを徒然に書き綴ります

小さいどらちゃんのこと

  何度も入院している私は、その時その時にいろいろな人と出会いました。同じ病気の人もいれば違う病気の人、老若男女問わず本当にいろいろな人に出会いました。そこから闘病の姿勢を学んだことも多かったです。

 

 たくさんの出会いの中でかわいい子供さんとの出会いもありました。その子は、名前が私と一文字違いだったので親近感がわいてしまい、同室になってすぐ仲良くなりました。

 昔は今と違って大部屋だとプライバシーも何もなく、みんなあけっぴろげで過ごしていたので、同部屋の方とお話をすることが多かったのです。そんな中でその子とは自然に仲良くなり、折り紙をしたり絵本を読んだりして日中を過ごしていました。

 

 確か当時私は17歳、彼女は5歳だったと思うのですが、彼女は私のことを「どらちゃん姉ちゃん」と呼んでくれて、私も年の離れた小さな妹「小さいどらちゃん」が出来た気分で過ごしていました。

 

 ほどなくして彼女は病棟が変わることになってしまい、離れてしまいます。それでも私は彼女が気になり時々訪ねて行っていたのですが、治療のために無菌室に入ることになり、面会謝絶となりました。

 私は彼女の本当の病名は知らないままですが、強い治療のために無菌室に入る必要がある、と彼女のお母さんからお聞きしました。

 

 私はそのうち退院しましたが、彼女の入院はまだまだ続いていました。

 小学校へも行けたのかどうか、ちょっとそのあたりはわからないのですが、たぶん、低学年の頃はずっと入院していて殆ど通えなかったと思います。

 

 その後私が転院したために入院中の彼女を見舞うことはなくなりましたが、それでも年賀状をはじめとして時々お手紙のやり取りはずっと続いていました。

 そうしているうちに月日が流れ、私は結婚したり転居したり等々・・・彼女は小学校高学年頃に無事に寛解し退院、その後中学、高校、大学へと進学。それぞれの人生を歩いていきましたが、それでも私たちは年に一度の年賀状のやり取りをずっと続けていました。

 

 今年も彼女からの年賀状が来ました。よく考えてみたら、もう30年以上の付き合いになります。実際に彼女に会うことはもう20年くらいしていませんが、それでもずっとお互い、近況報告の年賀状のやり取りをしています。

 彼女は病を克服し、今は二児の母になりました。男の子二人だから本当に毎日あっという間です、と年賀状にありました。

 小さな時からつらい治療を続けていた彼女、私も時に病気にくじけそうになった時にはこの「小さいどらちゃん」のことを思い出して奮い立たせていたこともあります。小さい彼女が頑張っているのだから、私も頑張ろうと・・・

 だから、いつかまた会えることがあったら、彼女にお礼を言いたいなと思います。

 もう私は出会った当時の「姉ちゃん」でなく「おばちゃん」になっているけれど、どんな話ができるか、その時を楽しみにしたいと思っています。